東京に行きたい

東京に住みたい。

地方には人が少ない、と言うより密度が薄い。大体似たような規範から大きく外れる人は少ない。だからこそ、少しでも外れる人が目立ちやすく、受け入れられない。実際受け入れられていない感やばい。完全に持て余されてる。自分でも自分を持て余してるんだから仕方ない。
修学旅行で東京に行った時、人の密度にビビった。あんなに大量の人間がこんな狭い場所によく収まったもんだ。実際住んだことは無いから知らないけど、良くも悪くも規範に収まる人は少ないし、他人に興味が無い集団だと感じた。東京の雑踏はとても居心地が良かった。

理由としてはそれだけである。東京に住みたい。人口密度が高い場所であんまり他人に関心を持たないという輪の中に混じって生活したい。その方が呼吸がしやすい気がする。

現状、金は無く親の束縛を振り払う勇気も無く、援助してくれる人も居ない。大学も少なくともあと2年はある。ほぼほぼ留年確定だけれども。しかも、地元で活動している団体に所属することにしてしまった。ますます東京行きが遠のくばかりである。

いっそ、地元周辺に就職してしまってもいいかもしれない。そのつもりで頑張った方がいいのかもしれない。どうしようもなくなった時お金を握りしめて東京に出る覚悟があればなんとかなるのかもしれない。

なんとか、なればいいなぁ。


高校の時くらいからもしかして自分は鬱なんじゃないかと思いつつ、この程度で鬱だと思うのは甘えだとかヘタれてるだけだとか言い聞かせて言い聞かせられてここまで来た。もうこの際鬱かどうかはどうでもいい。今この「しんどい」を取り除く手段が欲しい。
夜に聞く睡眠薬やら安定剤やら抗うつ剤やらを飲めば楽になるなら飲みたい。楽にして欲しい。この思想こそが甘えなのだろうか。

お風呂はあったかくて好きだ。でも気分が落ち込んできたら入るまでにとても時間がかかる。お風呂入らなきゃなー、と思って実際に入るまでに1時間2時間ザラにかかる。入るだけ入っても、今度はシャワーを頭に被ったまま動けなくなる。結局まともに洗いもできず日の出で諦めてなんとか出る始末。
高校の時初めてお風呂に入らずに朝日を見てから、周期的にまともに入れない時期が来る。最近は間隔が長くなってきたと思ったけど、長くなっただけで治ったわけでは無かったようだ。
それと、某借金玉氏が「鬱の時パチンコにハマりやすい」と言ってたけど、私はイラストロジックのアプリを延々とやってた。丸2日やって14時間寝て丸1日やってご飯食べて寝てみたいな生活をしてたこともあった。

これらを証拠に「私は鬱だ」なんて言えないけど、このままでは大学にまともに通えないし、卒業もままならない。今季は単位を一つも取れていない。崖っぷちだ。
でも、個人的な「よし、がんばるぞ!」ではどうにもならなかった。無理に頑張ろうとすると反動が大きく、リスカはやった事ないものの体毛を抜いたり皮膚を剥いだり食べてないのに吐いたりプツンと動けなくなったりした。
なにより、周りの友達に迷惑をかけるのが本当に申し訳なかった。ラインで声をかけてくれたり、サークル前に個人的に連絡してくれたり、そういうのを全部無駄にしてしまったし、「今日は行く」という約束を何度も何度も破ってしまった。着替えて準備して後はもう行くだけなのに時間にも間に合っているのに行けなかった、等と言っても相手からすれば「は?」で終わりだ。私は、約束を守れない信用に値しない人間になってしまった。

何よりも同居人への迷惑が著しかった。ひたすら布団から出てこない、出てきたと思ったら飯食ってまた籠る、試し行動や自傷を始める、こんなに面倒な同居人は居ないだろう。

本来メンタルの整理は金を払ってカウンセリングしてもらうもので、友人をカウンセリング出来るほど普通の人間は暇じゃないし強くないし時間もない。それを一身に受けていた同居人の苦労は計り知れない。よく捨てられなかったものだ。いや1度捨てられてはいるんだけども。
同居人とは言うが私が転がり込んだだけなので、ほぼ居候だ。本当によく縁を切られなかったな。感謝しかない。

なんせ、以上の理由からこれ以上周囲に迷惑をかけたくない。では病院へ行けばいい。

行けばいいのだが。先ずそもそも親から金を貰っておらず、アルバイトもあまりしていない(短期で少しずつのみな)ので金がない。病院もタダではない。幾らかかるか分からない。
次に、親がいい顔をしない。というか端的に言うと怒る。病院に行く程じゃない、甘えだ、等と叱られる。そもそも「病院に行く」事を脅しのように使う人だ、私とは意識が根底から違う。私は具合が悪い時に病院に行く事を恥だと思っていないし、精神障害に対する偏見も少ない。少なくとも精神科を受診することでキチガイだと思われるかもしれない、なんて考えたことも無かった。ジェネレーションギャップなのか。親世代の意識はそういうもんなのか。何も言い返せなかった私が情けない。
最後に、周囲の目だ。もし私が精神科を受診し、それが周知されれば、周囲の人間はその優しさ故に「可哀想な人」として扱うだろう。実際サークルのOBで就活浪人で手帳持ちで良くサークルに顔を出してくれる友人が居たが、7割位の人々はそのような対応だった。残りの3割は友人になる人と関わらない人とである。そうなってしまったら、今以上に疎外感を感じるだろう。それこそ自殺を決意する程に。

Twitterでは病院に行ったとしても先生によって診断が変わったり酷い対応をされたりすることがある、などと聞く。二の足を踏んでいるうちに何年も経ってしまった。どうすればいいのか分からない。ただ、漠然とした不安と焦りと希死念慮が濃く薄く続いていく。そして、私はまだ動けないままだ。

東京に行きたい。